primrose_et
お盆、雨、朝顔、LIFE

お盆、雨、朝顔、LIFE

wareratoki:

&1 色々考えていただいた後で申し訳ないのですが、写真を上げたのは僕ではありません。そういえば「お茶でも飲みましょう」って、ちょっとアガサクリスティっぽいですね。



二ヶ月ほど前に、ozkn.netに写真(だけ)が載った「象は忘れない」アガサ・クリスティを読んでみました。明言はされていませんが、おそらく小沢さんご本人の投稿ですよね?

http://ozkn.net/post/26834459529

cony0204:

そろそろ海にも海月がやってきているようだ
この写真を撮って
‘ああクラゲって だから海の月と書くのか’
と今更ながら 実感
知識を得てわかっているつもりの物事は山ほどあるが
こうやって実体験で納得がいくというのは
なんだかとても気持ちのいいことだ

cony0204:

そろそろ海にも海月がやってきているようだ

この写真を撮って

‘ああクラゲって だから海の月と書くのか’

と今更ながら 実感

知識を得てわかっているつもりの物事は山ほどあるが

こうやって実体験で納得がいくというのは

なんだかとても気持ちのいいことだ

wareratoki:

&1 
これ
http://ozkn.net/post/28702568836
読みました? 良いなあ。前の
おはよう!

こんにちは!(おはよう!の続き)
もどうぞ。
誰か応える投稿をしてみては…?






ああ 街は深く僕らを抱く!







わたしは、大学で建築を学んでいた。

なんで建築を学ぶことになったのか。

それは、自分の住む、マンションの周囲が急激に、開発され、とんでもない、まちなみになっていくことの理由が知りたかったから。

wareratoki:

東京の街が奏でる。

wareratoki:

東京の街が奏でる。

wareratoki:

いちょう並木のセレナーデ

小沢健二 lover 尾道市民会館


Dec.1996

From Ozkn Film Archives.

wareratoki:

『別テイク』OMAKE::::::::::::::::….:……………………


「東京 渋公 (1994)」
SSTV特番『TOUR DISCO TO GO』バンパー映像より 放送当時のまま抜粋。
Video「City Country City」未収録。
Music:Paul Simon「Me And Julio Down By The Schoolyard」

「東京の街が奏でる」使用素材。


From TakeiGoodman._AREGATO_NAGOYA!

schadaraparr:

みなさまの家にも届いているでしょうか?東京電力からの値上げの「お願い」。

読んでみると、すごく丁寧な言い回しで「なぜお客さま方からお金をいただかなければならないか」、ということを優しく説明してあったりするんだけど、

どうひいき目に見ても、「お願い」というか「強制」なんですよね。

平たく言うと、

「愚民どもに告ぐ、値上げすんぞ、以上!」

ってことだもんねぇ。

あー、くやしい。

ボーズ

「我ら、時」に触れて

2012年6月29日(金)。

名古屋にて、小沢健二「我ら、時」展覧会を観た。

この展覧会を観たのは、3月の渋谷に続き2回目。

平日のお昼すぎ。

お客さんは他にはいなくて、私一人、世界を旅する。

小沢くんの声が懐かしい響きで降り注ぐ。

幸せな時をすごせた。

写真ひとつひとつ、語りひとつひとつについて、全部語るのは私にはできそうもない。

(記憶も追いつかない。)

展覧会を観た後入った喫茶店で、スマートフォンにメモ。それを見ながら、印象に残ったことを書きとめたい。

写真と音声を見た時に感じたこと、そこから連想したこと、ごちゃ混ぜになっています。

過去やったことで今がある
今やることで未来が決まる
やらないことで未来が決まる

動物を牽いている少年。
歩く足の跳ね上がり方
その人のリズム
その土地でうまれたリズム

ひふみよの時の写真。
おどけた格好をする真城めぐみさん
ひふみよツアー某所の、電車の中でみかけた皆さんの旅の雰囲気を感じる

らくだの鳴き声は、この展覧会で初めて聴いた、と思う。                             ボエーでもないし、ブホーでもないし                                          らくだは歩きながら鳴いたりするのだろうか
強い、でもどこかしらおかしみのある声
なぜか展覧会ではこの声の印象が一番強かった                                     他の写真の前でも、この声が聞こえてきて、もう一度らくだの写真の前にもどったりした          この声もう忘れることはなさそうだ

どこか(ラオス?)の土地の音楽。
なぜだろう、日本の歌謡曲のように聴こえる
不思議だ

水田の青い稲穂。
日本と言われても違和感のないその写真
私の今いる街の日常のようでもある

ラオス。
せせらぎの音
子どもたちの笑顔

ガザの爆撃。
哀しみを共に過ごす時

高千穂。
暗闇の時代
うたう
うたげ
いしをつむ
なにかをうつ
光を取り戻す
喜びを他の誰かとわかりあう


そして今日。

以前読んだ雑誌『GINZA』6月号を再読。

『GINZA』編集部に遊びに来た、狐さんたちへの“インタビュー”。

そのなかの一部。

展覧会に行く方へのメッセージとして、ラパス(ボリビア)から来たCONDORIさんの言葉

4番目にある、少年と牡牛の写真をぜひ見て下さい。少年が年老いた男の傷心を歌っている。この悲哀こそが、この上なく輝いているものです。歌う少年が私のような通りすがりからコインを受け取る時、チャリンと音が聞こえてきます。このとても短い音が、私の目を覚ましてくれます。ここからとっても遠いところから聞こえてくる音だから、よく耳を澄まさないといけません。地面に耳を当てて、地球の心拍を聴きとるように。それは日本人のみなさんにとっては畳の香り。つまり“故郷(ふるさと)”を感じることができると思います。


このチャリン、というコインの音を聞けたように思う。

あの写真の前で、聞いた。

展覧会の会場で、写真の下に小さな畳が敷いてあった。

どういう意味なのだろう?とずっと思っていた。

この文章を読んで、少し分かった気がする。

故郷を感じる時のように、地球の心拍を聴きとるように、耳を澄ませてみよう、というメッセージだったのかな。

畳は、私たち日本人にとって日常。

居眠りをしている花屋のお兄さんの写真。彼の日常のひとこま。

小沢くんは、旅先で、旅人の目線で見聴きした、その土地の「日常」の風景と音を届けてくれた。

先日のスカイプ中継で、皆の「日常のニュース」を聞いたという。

それも展覧会の続きだったのかもね。


3月から続いた「我ら、時」展覧会も明日で終わり。

展覧会告知のサイトにあった、「春から夏へ」の言葉を思い出す。

小沢健二さん、ありがとうございました。

またお会いできるのを待っています。

旅の安全を祈りつつ。

2012年7月1日。雨の新潟山の中より。

wareratoki:

お気に入り。

wareratoki:

お気に入り。

wareratoki:

最近、三歳の息子と喧嘩をする様になりました。息子は「3ばん!ながれぼしのおうたにして!」と言うのですが、私は「さよならなんて云えないよ(一)」のメンバー紹介がたまらなく好きで、(一)から(ニ)への流れを楽しんでいるため、ママが先!僕が先!と。大人げないのですがね。

それで、ある時、気がつくと電車のおもちゃを走らせながら「ましろめぐみ~」と声を合わせている息子がいました。

うれしい無数の手たち。喜ぶ狐さま #ozkn

wareratoki:

僕の住む街を台風が通過していく夜の音を録音してみました。
台風の街が奏でる。こんな荒れた日だってあるのも日常です。台風が過
ぎ去るのを暗闇の中で静かに待つ動物達の姿を想像しながら録りました。
(映像は後から付けたものです。)


いわゆる「フィールドレコーディング」の面白さというのは音を「狩る」のでは
なく「愛でる」感覚にあると思います。自然の中で現れては消えてゆく音の
連なりの一部をほんの少しだけ分けてもらって繰り返し聴く。この部分は
ループが組めるとか、ここは色々な要素が同時に鳴っていて音楽の演奏の
ように聞こえるとか、耳の快楽に溺れつつ何度も繰り返し聴くうちに、ますま
す密になっていく記録された音たちとの関係。音が馴染みのある特別な存
在に変化していく不思議。

それは子供の頃、飽きもせず同じ玩具で遊び続けていた感覚や、気に入った
道具を使い続けていく感覚に似ているような気がします。動物と遊ぶときの
感覚や、慌てずに丁寧に物事を思うときの感覚、悩み事を抱え込んで動けな
いでいるときの感覚にだって似ているかもしれません。もちろん大好きな曲
を何年も聴き続けていたり、お気に入りの写真を飾って毎日眺めている感覚
とも同じでしょう。

しかし、この感覚を使うことに躊躇したり、忘れてしまっている大人も多いと
思います。いつまでもこんな子供っぽい遊びをしていて良いのかという遠慮
のようなもの。大人とは慣れ親しんだものを捨て、新しいものを手に入れな
がら進んで行くもの。安心安定と引き換えに、苦しみや不機嫌を引き受けな
がら進んでいくものなのだという諦め。矛盾した義務感。

今回の展覧会「我ら、時」を観たときに懐かしさや穏やかさを感じるのは、
子供の頃は誰もが遠慮なく使っていたはずの、物事を愛でたり、撫でたりす
るような感覚をあの空間が要求するからではないでしょうか。暗闇の中、あの
特別なスピーカーから流れてくる音を聴き取る為に、耳の後ろに手の平を添え、
ウサギの真似をしているようなポーズで写真だけを見つめてじっとしていると、
自分の奥深い所に隠されていた野性のスイッチがそっと入るのを感じるのです。

世界を愛でたり、撫でたりするだけでも優しく穏やかで豊かな心の状態を繋ぐ
ことができます。自分達が元々持っている感覚を否定する必要はないのだと
思います。そんなもの何の役にも立たないじゃないかと結論を急かされること
にも慎重でありたいと思うのです。深く聴く、深く見る、深く読む。それは子供
が砂場で延々と遊ぶような素朴な感覚だったはず。忘れてしまわないように、
肩肘張らずに毎日の中で使っていく。好きな音を、音楽を「楽しみながら」進む。
考える。